凍りつくようなフラメンコ話…フィエスタ大失敗談の件

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あべまことのフラメンコ追っかけ失敗談
(最高の舞台を観た後の最低の経験)

今更書くまでも無いけど、スペインのアンダルシアはフラメンコの聖地。

週末ごとにあるペーニャでのイベント、季節ごとに各劇場が競って企画するシリーズ物の劇場公演、
コルドバやヘレス、セビージャなどで年に一度催されるフェスティバル。

こう言った主要なものの他にも、大小様々な場所でプロやアマ問わず催しがあって、
フラメンコファンなら体が一つじゃ全く足りない。

自分も漁るようにフラメンコを求めて、夕方過ぎから翌日の朝まで、
ご飯を食べるのも忘れてありとあらゆる場所を徘徊する日々。

自分がそんなスペイン滞在にも慣れてきて、
新しく日本からきた人たちから頼られるようになり始めた頃のこと。

2008年とかそのくらいだったはずだけど、

その頃レブリハ出身のイネス・バカンにはまっていた僕は
セビージャでイネスが歌うときけば観に行ったり、CDを買ったり、要は軽い追っかけだった。

一つには自分のスペインでかの1番古くからの友人がレブリハ出身で、
初めてフラメンコでスペインに行った頃から何かにつけてレブリハという名前はきいていた事、
そこへきて、ちょうどこの頃レブリハブームのようなものがあった事。

聞く人が聞けば

「昔からレブリハは変わらずあるんだ。ブームなんかじゃない!!」

なんて言われそうだけど、

その少し前にフランスでペドロ・バカンとイネス・バカンのバカン兄妹の
ドキュメンタリー映画が制作されてそのDVDが発売されたり、イスラエル・ガルバンが
イネスの歌に惚れ込んでピアノのディエゴ・アマドールと3人だけで劇場公演をやったり、
レブリハの近くのウトレーラの名門出身のトマス・デ・ペラーテが見出されてCDを出したり

とにかく「レブリハ」、「ウトレーラ」界隈は現存するプーロの宝庫みたいな打ち出され方をしていた。

少なくとも自分の目にはブームに映っていた。

そんな中、ペドロ・バカンのオメナへ(追悼公演 ※ペドロは1997年に交通事故で亡くなった。)が、
地元レブリハで開催されるっていう情報が回ってきた。
※オメナへは必ずしも追悼公演ではなくて、例えば病気になったアーティストやその家族への支援を目的として存命中に行われることもある。

レブリハに降りるのはこの時が初めて、いつもヘレスやカディスへ行く途中に車窓から眺めたくらいでした。

夕方の公演に合わせて午後3時くらいに着いたので、レブリハの街はさっと歩いたくらいで会場へ。

いよいよ開演。

親戚筋の長い話の後、確かペドロの息子のギターソロから始まった記憶がある。

その時の自分のスペイン語力で「息子」と思ったけど、違ったらごめんなさい。

その後、コンチャ・バルガスやアントニオ・モジャ始めたくさんのアーティストが出たけど、
一番印象に残ったのはイネスの歌だった。

もの凄い静けさの中でいつものようにボソボソ歌い始めた彼女が深く高揚していくのが伝わった。

その日の舞台は最高だった。

今にして思えば、会場の3分の2以上はゆうに占める地元(と思われる)の人達と
アーティスト逹のペドロへの想いが空気を作っていたんだろう。

今だから思う。自分は何もキャッチできていなかった。

出演しているアーティストがどこの誰で、どういう血縁関係かまでみんなが知っている中での公演は、
緊張感、厳かさとアットホームな雰囲気が混ざっていた気がする。

2時間あったのか、3時間あったのかはっきり覚えていないけれど、
終演後、そんな身内感溢れる空気感に酔いしれて会場を出ると、
もう外はすっかり暗くなっていて少しひんやりしていた。

興奮冷めやらず友達と話していると、
フラメンコ臭のする人逹がなんだか決まった方向に流れていくのに気づいた。

その頃、現地事情に詳しい日本人の方と交流があった自分は、
その人からの情報で、この後《身内のフィエスタ》があることを知った。

《身内のフィエスタ》

その当時の自分からしたらヨダレが出そうな響きだ。

「ヤッタァ!! まだ、あの続きが聴ける! こんなフィエスタは滅多にないぞ!」

顔は、相当ニヤケてたと思う。

「あんまりたくさん人が行くとダメだから、誰でも彼でもには言っちゃダメだよ!」

なるほど。確かにそうだな。

こうゆう時の自分本位さはえげつない。

その日も、他の公演同様に大勢の外国人、特に日本人がたくさんいた。

人だかりがなくなるまで、10分だか15分だか待ち、4,5人の友人と教えられた場所へ。

いざ場所に着くと、そこは30畳くらいはありそうな何の変哲もない部屋で
中央にテーブル、そのテーブルを囲むように部屋の端々にコンビニのアイス売り場みたいな横に
寝かせた冷蔵庫があって中にはビールなんかが入っていた。

入った瞬間にすでに何人もの日本人がいることに驚いたけど、
それより、さっきまで舞台にいたアーティスト逹がかなりいる事に感激した。

「おおおお!!!!!」

セビージャの劇場公演じゃ、こんな事はないな。

普通の仕事ならスペイン人逹はあっという間に帰り支度をして、各々さっさと帰って行く。

どこかに集まっているにしても、セビージャのように大きい街ではどこで集まっているかを探すのは本当に難しい。

ところが今日はこの小さな街レブリハで、しかもこのまちの英雄ペドロのオメナへ。

あの人も、この人もいる。でもアーティストじゃないスペイン人もいるなぁ。

家族、親戚だろうか。

「ワクワク!」

ところが、少し場に慣れてくると、なんだか変な空気が流れてることに気づいた。

どうもみんな一様に顔が硬い。特にスペイン人逹が。

だいたいバルでもどこでも、常にザワザワと活気がある彼らにしては妙なテンションの低さ。

みんな食べ物が所狭しと並んでいる中央のテーブルには一切近づかず、
飲み物満載の冷蔵庫付近のスペイン人だけがビールを飲み始めている。

まるで、真ん中のテーブルは危険区域であるかのように。。。

気づけば、くっきり外国人(というか、ほぼ日本人)のゾーンと、スペイン人ゾーンに別れている。

メインの人が来るまで、喋りながら待とうみたいな感じでは、全くない。

気まずい。。。。どころじゃない。

来てはいけなかったな、と感じた。

そして、それは決して考え過ぎじゃなく、
来なければ良かった、と確信することがあった。

この部屋にいるアーティストの中に、少しだけ話したことがある人が二人いた。

クーロ・フェルナンデスとカルメン・レデスマ。

どちらも名の知れたアーティストで、この会の中でも当然みんなに知られている。

クーロはその当時から日本でもおなじみだったし、
あの人柄だからその場の中で唯一日本人と会話をしている存在だった。

カルメンはその当時通っていたフンダシオンという学校の先生で、
クラスの休憩時間に何度か話したことがあったので知り合いの気分でいた。

クーロに話しかけたけど、普段の快活なイメージと違ってなんとなく話しにくそうな気配。

この気まずさから解放されたい自分は、部屋の端にいるカルメンに向かって笑顔で手を振ってみた。

気づかない。

もう一度。今度は目があった。

気づかない、、、、フリ。

もちろん、本人に確認したわけじゃないが、完全に自分と判っての無視だった。

決して、被害妄想とかじゃなくはっきり感じた。

迷惑なんだな。

自分はそこで帰ることにした。

そんな空気を感じながら仮にフィエスタになっても自分は絶対に楽しめないから。

もうセビージャまで帰る手段もなかったので、
適当なバルに入って飲みながら、いろんな事が頭を巡った。

きっと大事な人(ペドロ)を思い出しながら、ワイワイやりたかったんだろうな、、とか。

入り口で変な空気を感じた時に、なんですぐ辞めなかったんだ、とか。

どうだったら、良かったんだろう?

自分は最高のライブで興奮して、
さらに限られた人がいける(と思い込んでいた)フィエスタに浮かれて、
自分の気持ちが先走って、周りの空気を感じられなかった。

その人たちが大切にしているものへの理解とか尊重無しに、
珍しいものを発見しに行く探検家にでもなったつもりだったのかも知れない。

そして、「フラメンコが好きなんだから、いいでしょ?」っていう気配が自分から出ていたに違いない。

もちろん、面白いフィエスタに遭遇したらすごくラッキーだし、怖がらず楽しんだら良い。

誘われて、自分が行きたければドンドン言ったら良いと思う。

でも、どんなに超人的なことをやってのける人だとしても、
みんな色々な思いで時間をかけて磨いてきた芸や、その仲間たちとの時間をとても大事にしている。

あくまで人間がやっているってことを忘れないように、という自分への戒め。

映画でも観るように受身だけで行くんではなくて、
少なくとも自分も何か与える気持ちで入っていくことが大事だ。

それがなければ、たとえ友達同士のフィエスタだってつまらないだろうし、
逆に、どんなにすごいアーティストとでも人として分かり合えた時には絶対に開かない
と思った扉がバン!と開くこともあるのが、

<フラメンコの豪快な魅力だとも言っておきたい。