一瞬で凍りつく?
ピリッと辛い意地悪なフラメンコ
『ブレリアってさぁ 超ムズくて
ずっとこう、なんていうの? 動いてるわけよ。。。わかる?
ってか、お前さぁ リズム感ないのになんで入ってくるわけ???』
え (−_−;)
これはあるブレリアの歌詞
を、
かな~り激しく意訳してみたんですけど、
あながち大袈裟な訳ではないんです。
残念ながら、、、、
元はコチラ。
『La bulería se mueve,su aire, a ti te mueve;
si tú no tienes soniquete,¡pa qué te metes!』
『ブレリアは動いている。
そのノリで君を揺さぶってくる。
だけどさ、もし君がソニケーテ(フラメンコ特有のリズム感覚)を持ち合わせていないなら、
なんのために(僕らのフィエスタに)首を突っ込んでくるんだい?』
以前、フラメンコの歌詞、特にリズム遊びが最重要なブレリアの歌詞には
ほとんど意味はないと言いましたけど、実は少し大雑把な言い方でした (-。-;
もう少し正確に言うとこうなります。
同じ歌詞を歌っても、ある時は意味はどうでもよくて、
またある時はものすごく意味が出てきてしまう。
※もしくは、意図的に意味を持たせる
別にとんちやナゾナゾじゃありませんよ。
こんなことが他のジャンルの歌であり得るのか自分は知らないけれど、
フラメンコではごく普通のこと。
これは自分の経験上、間違いない話なんです。
ちょっと痛いけど、
フラメンコを知る上で避けて通れないところだとも思うので、
今日はそのあたりをお話ししましょう!
piropo ピロポ と guasa グアサ
まずは、日常会話の中でも常にある感覚の
piropo ピロポ と guasa グアサ というのを知っていますか?
ピロポは『褒め言葉』 グアサは『皮肉』の事です。
「ああ、日本にもあるよね?」と思ったら大間違い!
スペインでは褒め言葉は10倍甘くて、皮肉は10倍刺さります。。。」
まずは分かりやすいピロポの方から見ていきましょう~
例えばこんな感じ。
tu eres como una rosa 君は薔薇のようだ
はいはい (^_^*)
これはいかにもラテン気質って感じで、イメージ通りですよね?
でも彼らはここで手を緩めず
la que es mas hermosa (その中でも)一番綺麗なやつさ
す すごい 、、、、
褒め言葉にもレマーテ(とどめ)があるんですね (゚∀゚)
しかもリズムに乗って韻まで踏んでいます。
オレ!!!
このピロポ、辞書で引くと『褒め言葉』『お世辞』と出てくるんですが、
実際にアンダルシアでの使われ方を見ているとお世辞というよりは
『気の利いた褒め言葉』って感じで、要はどこか『粋さ』があるんですね~
たとえば自分が実際に経験した話なんですが、
八百屋で買い物をした時に
目の前にいたおばあちゃんが帰り際に野菜を袋からこぼして
バラバラッと床にばらまいてしまいました。
自分はすぐ後ろにいたので普通に拾うのを手伝ってあげたんですが、
おばあちゃんはニコッと笑うと一言
『Gracias Hijo ありがとね 息子! 』といって帰って行きました。
もちろん実の母親ではないですよ。。。 念の為 笑
さて、自分も買い物を終えて店を出る前にレジのおばさんに『Adios じゃあね』と声をかけると
おばさんから一言!
『Adios Guapo! じゃあね 男前!』
気持ちが軽くなるっていうか、
心の中をホワッとさせる力がある言葉。
これもピロポ!!
気持ちを一つ付け加えるっていう感じです。
たとえ、息子じゃなくても、グアポじゃなくてもいいんです。
誤解されやすいけど、口説き文句だけがピロポじゃないんですね。
自分の気持ちを伝える時に少し飾り付けしてみる。
自分流に例えるなら、
美味しいラーメンを出す時にさらに綺麗なドンブリに丁寧に盛り付けすると
受け取った相手は笑顔になる
あの感じです!
どうやったら相手に気持ちが伝わるのか。
もちろん元々の『ラーメン=気持ち』が大切なことは間違いないんですけどね!
そしてここがポイントなんですけど、
誰が口にするピロポもとてもリズミカル!
このあたりは驚くしかないんですけど、
言葉の意味もリズムも気持ち良いものだけでできてます。
その感覚は、
たとえカマレロ(ウェイター)やスーパーの店員さんが、
道を行くイケメンや美女にかけるピロポも舞台上で演者に対してかかるハレオも全く同じ!!!
そしてレトラもそう。
だからそれが自分の生まれ故郷を褒め称えている歌詞でも、
おじさんが美女を口説くときに使っているセリフもよく聞くと同じだったりします。
Como tu persona no hay ninguna
君のような人は世界中探してもいないよ!
Como mi Cai no hay na
僕の故郷カディスみたいな場所はどこを探しても見つからない。
ね??
試しに、街で聞いたピロポを舞台で使ったり、
舞台で使ったやつを少し変えて普段使って見ても面白いかもしれませんね!?
さぁ褒め言葉はこんな感じ。
とても感情をはっきり伝えるお国柄なので、
逆もまた然りなんですね。。。。。。
さぁいよいよ ダークサイドに入って行きます!
Guasa グアサ
これは日常会話じゃなくフラメンコの中で見て行きましょう!
自分の経験でこんなことがありました。
10年以上前のある発表会の伴奏で今は亡きアルバロこと、
Aguilar de Jerez アギラール・デ・ヘレス と一緒にTango タンゴを歌っていた時の事。
1つ目のレトラ(歌詞)をアルバロが歌った後、
踊り手がジャマーダをして自分が2つ目を歌う番になりました。
その時のテンポや雰囲気から、ある歌詞を歌ったんですが、
自分いうのもなんですが良いチョイスで全てのメンバーが
それいいね!!っていう感じでした。
アルバロ以外は。。。。。
アルバロは、フラメンコの聖地 ヘレスデラフロンテーラ出身の歌い手で、
何か違和感がある時には顔を真っ赤にしてでも思っていることを人に伝えようとする人で、
そのせいで時にはただ癇癪を起こしているおじさんっていう印象になってしまう事もありました。
ただ何回も一緒に仕事をするうちに、
自分の知っているフラメンコを何とか伝えようとするそのエネルギーに
何度も驚かされたのを覚えています。
そしてこれはかなり後になってから知ったけど、
現地ではそのフラメンコ学の記事が新聞に掲載されたり、
自分で作詞もするような一面もあったようです。
さて、そんなアルバロがひと段落ついたところで、
『あそこではもっと美しいレトラを選んだ方がいいんだぞ』と言ってきました。
その時はその意図が全く分からなかった自分は、
『あ、もっとおしゃれなメロディーのレトラってことかな??』と思いつつも、
自分の歌った歌が踊りの流れに合っていたと思ったので、
え?なんで? あれじゃダメなの???
と聞き返しました。
少し考えた後、アルバロは
『Bien. No esta mal…… まぁいいよ。別に悪いわけじゃないからな。。。』
と、それ以上は何も言いませんでした。
その時の歌った歌詞がこれ。
Tu roneas porque vale
siendo la piedra mas chica
de la acera de mi calle
※カルロスサウラ監督の映画フラメンコの中で
Aurora Vargas アウロラ・バルガスが歌っていますね。
訳すと
『あなたは価値があるから、それだけ堂々としてるんでしょう?
うちの近所の道端の一番小さい石と同じくらいのね。。。』
つまり
何をそんなに威張ってるんだい?
その辺りに転がっている小石ほどの価値しかないくせに。
。。。。。。。( ̄^ ̄)
まぁ、もちろん今にして思うとアルバロの言っている事はその通りなんだけど、
正直に言うと自分はそこまで歌詞の内容がばっちり合ってないといけないのかなぁ。。と思っていました。
ここで質問です。
例えば みなさんは、日本の演歌の恨み節を聴いた時に
もしその内容に共感する事があったとしても、
その歌手の恨みや思いがダイレクトに自分にぶつけられている…
とまで感じる事ってありますか?
自分は無かったんです。
だから自分の歌のメッセージ性って本当に無自覚だったんです。
つまりあの時、自分はただ歌詞を発声していて、
アルバロは踊り手へのメッセージっていう風に聞いていたんですね。
もちろん言葉だから意味があるのは当たり前なんだけれど、、、
ただ実はそれでもまだ釈然としない自分がいました。
なぜなら、それまでにいろいろなライブを観てきて、
踊り伴奏でも決して褒め言葉の歌詞だけではない事は知っていたからです。
歌のメッセージ
でもそれから数年後、スペインでのあるフィエスタで
その答えをはっきりと理解してしまうような出来事がありました。
セビージャのcorraron コラロンという店でのこと。
その当時、コラロンは夜な夜な現役アーティストが仕事帰りに立ち寄り
フィエスタが始まる事で有名な店で、自分も少なくとも週に3日は通っていました。
その場所は『バル』というにはあまりに適当な営業で
「ま、飲み物とポテチはあるから、あとはよろしく!!」
みたいなノリで営業していました。
とある、金曜日 いつも通り夜中の1時過ぎに行くと
えっ!!!
もう15人くらいが輪を作ってブレリアが始まっている。
しかもパッと見ただけでも、3,4人は今第一線で活躍しているアーティストがいるじゃないか!!!
普段は、1時頃といえばそれぞれパラパラやっているくらいで、
こんな風にブレリアが本格的に始まるのは3時頃なんだけど、、、、今日は少し違うな。。
早速、奥のカウンターでビールを頼んで輪に近づいてみると、
ん?
気のせいか、何人かの人の顔つきが硬いな。。
そしてある歌い手が歌い終わったあと、
その理由がはっきり分かりました。
それは、、、、
別の歌い手が今歌い終わったばかりの歌い手に言った言葉が聞き取れてしまったからなんです。
『そんな歌じゃ どう頑張っても オレ!なんて言えないよ。』
決して大きな声じゃないけど、
それでもそこにいるみんなに聞こえるくらいの声で。
シーン。。。。。。。
日本人の自分でも聞き取れたくらいだから、
その場にいた全員がその言葉が誰に言われたか100パーセント理解できたはずです。
誰も何も言えない時間が3秒だったのか、10秒あったのか、、、
とにかく時間が止まるってこの事だなっていうくらいの嫌ぁな間があった。
そんな空気を変えようとしたのか、
ギタリストがもう一度ブレリアを弾き始めて、、
そしてそんな中で冒頭の歌詞が歌われたんです。
La bulería se mueve,
su aire, a ti te mueve
si tú no tienes soniquete,
¡pa qué te metes!
実は、その歌詞はかなり有名だからそれまでも何回も聞いたことはあったけど、
その時初めてこの歌の本当の感覚を突きつけられた気がしました。
これがグアサ。
むき出しのメッセージがフラメンコを通してやり取りされる。
普段なら歌詞の意味にそこまでの重要性がなくてただの歌で終わるのに
こんな意図で歌われると、その場にいる全員がなんでこのタイミングなのか感じて
『歌詞の意味そのままのメッセージ』として伝わることになる。
そして、誰が聞いても決して気持ちがいいもんじゃないのに
歌が綺麗にコンパスに乗っているから、誰からともなく
オレ!!!
と、かかってしまう。。。。
このあたりがコンパスの凄いところで、
歌詞は聞こえていても最終的に『オレ!!』を引っ張り出すのは
その瞬間のコンパスの気持ち良さなんです!
それからぎこちないながらもフィエスタは続き、
やり込められた歌い手も歌でやり返したりしていた。たくましい。
もちろん全ての歌詞を聞き取ることができたわけじゃなかったですけどね。
そんな風に時間が経つにつれてだんだんその空気もあやふやになっていったけど、
朝になってそのフィエスタも終わり家に戻った後も、
自分の頭の中にはしばらくさっきの出来事が残っていた。
善い感情?悪い感情?
最初に話したアルバロとの話や、
今のコラロンの体験談で何が言いたかったかと言うと
間違っても!
踊り伴奏では美しい意味の歌詞を歌え
なんて事が言いたいわけではないですよ!!!絶対に!
言いたいのは、
歌詞はただの言葉じゃなく、
心そのもの。
だからこそ同じ歌詞を歌っても、
その気持ち次第で意味はどうでもよくなったり
またある時はものすごく意味が出てくる時があるんです。
そもそもフラメンコの歌は音楽としての歌であるもっと前に
人間の気持ちそのまんま
が歌詞になっているものがとても多いです。
韻によってリズムが整えられていてメロディーが付いていても、
その歌が生まれた時の強い感情はそのまま残っている。
たとえそれが誰にでも胸を張って言える様な感情だけでなくて道徳の教科書なら
「そんなのいけないよ!」って言われそうな感情であってもフラメンコに変えて表現してしまう。
そういうフラメンコの歌詞は状況やストーリーを描くよりとにかくストレートに
感情を表しているから物語を読むみたいな気持ちで歌詞を読み解くと意味不明になってしまう事ばかり。
でも、そんな『普段は何のことか分からない歌詞』がドンピシャな場面でくると
バチッ!!!!!!
と意味を持ってくる。
そしてそんな時、『グアサ』が持ってる強さは『ピロポ』の何百倍 (–。–; なんです!
でもだからと言ってフラメンコを意地悪だなと思うこともないし、
必要以上にロマンチックに奉る必要もないですよ。
肝心なのは、
プラスのエネルギーも負のエネルギーも変に美化しないでそのまま感じること。
なぜなら
普段の生活ならそっと隠してしまうようなそんな感情すらも躊躇なく、
取り繕わず表に出してしまうエネルギーこそが言葉が通じない国の人間までも
惹きつけてしまう善も悪もない人間臭さが他にないフラメンコの魅力だと思う。
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