フラメンコの歴史を説明します!

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フラメンコとは?

みなさんこんにちは!
いつもラーメンやご飯を食べてるだけじゃないよって事で、
今回はがっつり《フラメンコ》について語りたいと思います。

みなさんは『フラメンコ』って何だか知っていますか?

すでにフラメンコをやっている人も含めて結構たくさんの方が、
『スペインの伝統音楽』っていう風に思っているかもしれませんね?

ところが、これ間違いなんです。

まずは『スペインの』っていう部分。

フラメンコが盛んなのはスペインでも南部のアンダルシアだけなんです。

もちろんアンダルシア以外にも全くないとは言えませんが、

それも、ほとんどアンダルシアから移り住んだ家族だったり、
とにかくアンダルシアより圧倒的に少ないです。

なので、アンダルシア以外の地域の
スペイン人にとってフラメンコはかなり縁遠い存在です。

それなら、

「フラメンコの本場アンダルシアでは、
誰もがフラメンコについて熱く語れるんだろうな」

なんて思っていると、

「ブブー!!」

これも違う。

えぇ!?!?

そう。『フラメンコ』って
スペインでも決してみんなが好きな音楽ではないんです。

というより、
強烈なアンチも多いです。

闘牛に根強い「愛好家」と「アンチ」がいるように、

フラメンコにもいわゆるペーニャに通うような「愛好家」もいれば、
フラメンコと聞くと眉をひそめて「あんなのくだらないよ」という「アンチ」が存在します。

ただ、そこはアンダルシア。

「愛好家」だろうが「アンチ」だろうが、

テレビやラジオ、街中で(嫌でも)フラメンコが
聞こえてくるので,もちろん知らない人はいません。

ただセビージャの友人曰く

「聴いたらフラメンコとはわかる。
でも曲種を答えられる人なんてほとんどいないと思うよ」

どうでしょう?

驚きましたか????

実際、自分も最初は
「スペイン人ならみんなフラメンコくらい知ってるだろう」
なんて思ってましたからね。

今日は、『フラメンコ』っていう音楽、
その文化の成り立ちについて少し詳しく調べてみましょう。

まず最初にそもそも
『フラメンコ』という言葉の意味って知っていますか?

例えば自分の手元の辞書で「フラメンコ」と引くと、

①《地名》フランダース(フランドル)の

②フラメンコの

③生意気な、気取った

④(主に女性が)頑健な

⑤《鳥》フラミンゴ

いろいろです。

特に①なんて『?』ですよね。

まさか『フラメンコ』の最初にくるのがスペインとは全く関係なさそうな地名とは、、、

調べてみると

「スペインでは宗教弾圧で歌うことが禁止されていたユダヤ人たちが、
フランドルに移住して歌うことを許されていた同族をみて、
その歌のことを「フラメンコ」と読んだのが始まりという説」
(※フランドルとは、→ 旧フランドル伯領を中心とする、
オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域。)

だそうです。

他にも諸説あるらしいのでさらに調べてみると、、、

《フラメンコ》は《農民の逃亡者》を意味する、アラビア語のフェラーメングが誤って発音されたものだという。
語源がアラブ人からの借用語であり(当時、アラビア語はアンダルシアで普通に使われていた)、
圧迫されて山に逃げ込んだ人々すべてを指すようになったことは充分考えられる。
スペイン語と一緒に使用されるうちに《フェラーメング》の発音が《フラメンコ》に変形し、
やがてフラメンコという言葉が難民たち自身によって取り入れられ、次いでその音楽に適用されるに至ったのであろう。

ドン・E・ポーレン 『フラメンコの芸術』より 抜粋

だそう。

いまだにこれっていう『確定』した説はないらしいんだけれど、
アンダルシアとアラビア語が出てくるあたりが、話として想像しやすいので

自分的にはこっちの方がしっくりくるなぁ。

名前の由来の次は、
いつ誰によって始められたか。

少しフラメンコや民族音楽に詳しい人なら、
「ジプシーでしょ!?」と答えるはず。

フラメンコを語る時にこの人たち抜きでは語れることはまずあり得ません。

最近の公演広告でこそ少なくなりましたが、
昔のポスターだと必ずと言っていいほど、
キャッチコピーに『ジプシー』という言葉が書いてありました。

この『ジプシー』という言葉、

ウィキペディアによると
『1427年にフランスのパリで「自分たちは低地エジプトの出身である」
と名乗ったことから、エジプトからやって来た人」という意味の
「エジプシャン」、そして→「ジプシー」 (Gypsy) の名称になった』と言われている。

現在、日本では差別用語とみなされて『ロマ』と言い換えられているんですが、
このブログ内では説明の表現上必要な時は『ジプシー』という言葉を使っています。

なぜなら彼らまとめて『ジプシー』と言われる人たちの中には、
歴史的経緯位や住んでいる場所によって「ロマ」や「ドム」などの固有の呼び方があるので、

全体を『ロマ』と呼ぶことが間違いになってしまうからなんです。

WIKIPEDIAによると、

世界的に使われているジプシーの
自称は「Rrom」であった。これはロマ語で人間を意味する。

ロマやドム、ロムなどの単語は、
6世紀に分かれたロマ人を表現するために使われていた。
複数の部族が西ヨーロッパに移動しロマと呼ばれたが、
ペルシャやトルコに残ったもの達はドムと呼ばれた。

ふむふむ。

なるほど、自分はドムっていうのは
初めて聞いたけどジプシーが世界各地にいることがわかりますね。

そしてそんな彼ら、スペインでは『ヒターノ』と呼ばれます。

スペインに限らず 音楽的な
才能を認められている彼らジプシーですが、

フラメンコも例外ではなく、ヒターノ以外の
スペイン人とははっきり異なるエネルギーを放っています。

このヒターノと非ヒターノの違いはまた別の機会に触れるとして、
一度フラメンコの音楽の成り立ちに話を戻します。

もしフラメンコがジプシーだけのものだとしたなら、
なぜジプシーたちがいる他の地域ではフラメンコがないんでしょうか?

そこでアンダルシアの歴史が絡んできます。

ヒターノだけが創始者ではないフラメンコのメッカ・アンダルシアには、
その土台としてイスラム勢力が統治していた8〜15世紀にアラブ人たちの文化が、
さらに古代にはローマ人やギリシャ人が影響力を持っていた時代がありました。

そういったものがアンダルシアの音楽文化のベースにあったはずなんです。

そして、いよいよ!!

そこにジプシーたちが入ってきました。

ジプシーたちがスペインに
入ってきたルートとして一般的に言われているのは

インド→中東→地中海の北側を通って→ルーマニアなどの東欧
→いわゆるヨーロッパ→フランスを抜けてスペイン。

と言ういわば《北ルート》で、

時期としては、14世紀末にインドやパキスタンから
追い出されたジプシーが北ルートで各地を通って
スペイン北部のバルセロナにたどり着いたという記録があるのが15世紀。

そして、実はもう一つ

8世紀にアラブ人がスペインを攻めに入ってきた時には、
すでにジプシーがイスラム軍の野営地の近くにいたという話があるんです。

この時、インド→中東→地中海の南側を通って→エジプト
→北アフリカ→スペインに入った《南ルート》があるとするなら、

この記録が正しければ、
北回りのジプシーたちがバルセロナに現れる7世紀も前に、
ジプシーがアンダルシアにいたことになり、
さらにそこからイスラムの統治下の数百年間はアラブの影響を受けたことになります。

同じジプシーでもスペインの北部と南部では
言語、習慣、気質がかなり違うらしいですよ。

自分は北のほうのジプシーって
まだ会ったことがないので、はっきりとは言えないんですが、、、、

北回り、南回りのジプシーたちの間での
交流がどの程度のものだったかはわかりませんが、

こうして考えると、アンダルシアには
何世紀もの間にたくさんの文化の往来があって、

少なくともアラブの影響を受けずには
いられない環境だったのは確かですね。

そして話はこれだけで終わりません。

ジプシーたちがスペインに入り終えた16世紀。

この頃の治世、カスティーリャ王国が、
多種族と異教徒の排除のために少数民族をスペインから追い出すことに決めたのです。

もちろん少数でしかも定住もしないヒターノたちもその対象になりました。

そんな中で迫害されたりた民族、
アラブ人、ヒターノ、ユダヤ人などが、
共通の敵を前により密接に関わっていき、

またその迫害の中であの強い音楽性を
育んでいったのはそんなに無理な想像ではないですよね。

それらが影響しあって、

16世紀にはなんとなく現在のフラメンコの形ができていたんだそうです。

それにしても長い年月、そしてとてつもない距離の民族移動、
さらにその土地の社会情勢が重なってスペインでカタチになったフラメンコ。

フラメンコは決してジプシーたちの運んできた音楽だけでなく、
これらの文化が混じり合ってできた歴史と時間の結晶に思えてきます。

そんな風にフラメンコを見直すと、
その音楽性も、独特の精神世界も少し違う角度から理解する糸口になりそうです。

さて、今日のフラメンコの成り立ちのお話。どうでしたか?

今度はフラメンコの多彩な曲種についてもお話ししていきますね。