こんにちは、フラメンコロイドのマコです。
自分はフラメンコの歌い手をやっているんですが
みなさんも知っているようにフラメンコはスペインの音楽なので
歌詞はもちろんスペイン語なんです。
大半の人と同じようにスペイン語を学校で習ったことはなかったので、
言葉自体を理解する事も大変だったんですが、
一番困ったのは、
例え辞書で引いて意味は分かっても、何が言いたいのか分からない事、、
辞書で引いても分からないって?
歌をやりはじめてから随分たって、ようやくスペインに行き出した頃のこと。
以前から歌っていた歌詞の中でどうも意味がしっくりこないものがあって、それを誰かに聞きたくてウズウズしていました。
初めの頃なんか、歌ってる歌詞の意味なんて何も分からずに何年も歌っていましたし、
実際今でも本当の意味は分からずに歌っている歌詞もあるんですよ。
言いたいのは、歌詞の意味が分からないことを必要以上に恥ずかしく思うことは無いし、
実際、今ではフラメンコの歌の世界を本当に深く理解するなんて不可能だと思っています。
さて、話を戻すと
スペインについた自分は
「スペイン人に聞けばもちろん間違いない答えが返ってくるだろう。
だってスペイン人なんだから!」
とばかり 知り合ったセビージャの人に前からわからなかった歌詞について訊いてみました。
その問題の歌詞がこれ。
al de la puerta real
pa que me aliviara esta duca que tiene mi cuerpo
que no la puedo aguantar
ソレア・ポル・ブレリア(フラメンコの曲の形式)でよく歌われる歌詞で、
2行目と3行目は「自分(の体)が感じている苦しみを楽にして欲しい。もう我慢できないから。」
っていう意味なんですが、1行目の意味が分からなかったんです。
puerta real は
「real」が「本当の」とか「王立の」の意味なので、
よくわからないけど、何かしっかりした扉って意味だろうと思ったんですが、
al de …の部分が自分ではどうにも訳せなくて困っていました。
その人の返事は、、
「al de la puerta real はね、
a el de la puerta [ 扉のところの彼に ] の意味だよ。
もっと丁寧に書くとしたら、例えば
a el (que esta al lado )de la puerta real
[ 扉の横にいる彼に ] とかの方が分かりやすいよね。」と教えてくれました。
なるほど!! 意味は分かった。
単なる文法の問題か!
ところが、すぐに「その彼って誰なんだろう???」という新たな疑問が。
その人に聞いても「そりゃあ分からないよ。歌詞を作った人の友達とかじゃないかな?」
そう言われたらそれ以上聞いても仕方ないので、
歌詞の中の《苦しみを取り去ってくれる彼》が誰なのかは、自分の中で釈然としないまま放置してしまいました。
数ヶ月後、、
その答えある日突然分かる事になります。
地元ネタ
それからしばらくして、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラに通い始めた自分は
フラメンコ界では名の通った歌い手夫婦、ダビ・ラゴスとその奥さんメルチョーラ・オルテガに歌を習っていました。
マルティネーテやブレリアなど何曲か習ったんですが、
ある日、ソレア・ポル・ブレリアで例の歌詞 《 al de la puerta 》 を習う事に。
この前は普通のスペイン人だったけど歌い手なら知ってるかも!
早速、メルチョーラに訊いてみる事に。
自分「この歌詞の1行目の歌詞がイマイチしっくり来ないんだよね。なんかストーリーを知ってる?」
なぜかドヤ顔のメルチョーラ
「マコト、知ってるも何も!! これはヘレスで生まれた歌詞なんだよ!」
え!!! マジで!!
「その《彼》が誰だか教えてあげるから、一緒においで!」と一言いうなり外へ。
歩く事10分。
着いた先は、アレナル広場の脇にあるなんて事のない薬局、、
ではなく、
さらにその隣にある一見《何だか分からない場所》。
何回か通り過ぎていたはずなんだけど、
良く見ると花やお供え物、そしてなぜか義足や義手がたくさん吊り下げられていました。
メルチョーラが
「あれが Señor de la puerta だよ。身体の不自由な人がその怪我や痛みが良くなるようにお祈りに来るんだよ。
でも、ここは教会のようにしっかりした建物になっているわけじゃなくて、ただ扉だけがあるから
El Señor de la puerta 「 扉の(ところの)キリスト様 」って呼ばれてるんだよ。」
※ Señor は Jesus と同じ意味で使われ、つまりキリストのことです。
そうだったんだ!!!!
《 al de la puerta 》 = 《 a el de la puerta 》の 「 el 」はキリストの事だったんだ!!!
スペインのアンダルシアのヘレス。
しかも有名なメルセー教会や大聖堂に祀られているキリストじゃなく、
街角に気づかなければ素通りしてしまうくらいひっそりと存在する場所。
そこにいつも欠かさず花が供えられているキリスト。
そりゃあ、セビージャの人が知る訳もないな。。。
それを知った時、
自分は普段あまりない程感動しました。
そんな事で?と思うかもしれないけど、
その時、自分が感動したのは「やっと意味がわかったから」だけではなくて、
思い起こしてみると、
今まで自分が覚えている限りこの「 al de la puerta 」を歌っていたのは1人残らずヘレスの歌い手達だったんです。
このひっそりとした場所の事を、
この歌詞が生まれた頃から、今に至るま数え切れないほどの人たちが歌い繋いでいるっていうこと。
歌うときにみんな《その情景》を思い浮かべているんだ、と想像して感慨にふけってしまいました。
酔い過ぎかな? 笑
結局、盛り上がり過ぎてその日はメルチョーラとあれやこれやと話し込んで、クラスはしなかったんだけれど、、、
あの出来事は、
いつも辞書を片手に歌詞の意味を調べていた自分にはとても印象的でした。
回りくどくなったけど僕がいいたいのは、
日本で歌の意味を知りなさいって言われて久しいけれど、
それって、「スペイン語を勉強しなきゃ」ってことではないと思う。
言葉の意味、文章の意味自体が大切なわけじゃなくて
その人がどういう気持ちで歌っているか。
その人が何に掻き立てられて歌っているのかが感じることが
それが一番大切だってこと。
フラメンコはスペイン語が分からなければ理解できないなんて事はない。
自分だって別にスペイン語がわからない頃から、
フラメンコに魅力を感じたのは
歌い手や演者が感じてる事の強さが客席にまで伝わってきたからなんだろう。
実際に歌詞の意味なんて全く関係ない時もあって、
特にブレリアなんかは本当に言葉のリズムだけを楽しんでいる歌が無数にある。
でも文章としての意味がないからくだらないなんてことは全くなくて、むしろソレこそフラメンコの本質的な部分だったりする。
大事なのはそこにどんな「感情」があるのかってこと。
今日はそんなことを考える一つのきっかけになったエピソードを書いてみました。
みなさんの中で、フラメンコに興味がある人がいたら、スペイン語の心配なんかせずに、思い切ってフラメンコの世界に飛び込んでください!
一緒にフラメンコを楽しみましょう!!
もちろん もっともっと好きになれば結局スペイン語にも興味が出てくると思うけど、、 笑
阿部真
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