ロイドの歴史
じわじわと2006年頃から始まった…
きっかけは、博多のスペインレストランで
ギタリスト松村哲志がメンバーを集めてやったのが始まり。
フラメンコのギタリストとカンテといえば、
毎日毎日来る日も来る日も踊り伴奏の繰り返し………
演奏する機会も、タブラオや発表会やリサイタルかコンクールだけ…
いや、
それより、
もっと観客を一体になれる
『お祭り』騒ぎのようなライブがしたかった!
そんな純粋な『希望と夢』があって、
それを叶えていける活動がしたくて、
メンバーを集め、
2008年に「メロポン」を結成し、最初の形が出来る。
そして、
2009年にはアルバム「メロキン」をリリース。
アルバムと今のオリジナルグッズの原型を持って
全国10カ所のツアーを敢行、今のツアーの形が出来あがる。
その一年後の、
2010年にはアルバム「メロマ」をリリース。
それを機に、
フラメンコグループ「タランチュラ」を結成。
その後すぐに、
名称を「東京フラメンコロイド」と変えたが、
またすぐに、
名前が長すぎるという理由から、、、
今の『フラメンコロイド』となった。
というわけで、『フラメンコロイド』は2010年から活動開始。
以來、8年間に渡って活動しています。
フラメンコロイドの活動履歴とこれから
毎年、全国ツアーを繰り返し、
自分たちの子供の頃からの夢のひとつだった
『日本全国一周』も、気がつけば、6回も数えていました。
そして、その中で、年間100〜150本のライブを重ねて来れて、
そちらも気がつけば、累計『1000本』以上のライブを経験していました。
ジャズフェスやソロギターのコンサート
全国各地の音楽フェスティバルなどを始め、
日本全国のライブハウスやお寺、画廊やレストラン
ホテルなどにも呼んでいただき演奏をして来ました。
また、フラメンコのワークショップにおいても
他にはない独自の世界観で開催し、
『目から何枚もウロコが落ちるクラス』
と皆さんから喜んで頂けるようになりました。
気がつけば、延べで、『13,000人』を超える人達が参加していて、
「すごいことになったなぁ〜」
と3人の中に沸々と嬉しい気持ちが湧き起こっています。
参加して頂いた方々、本当にありがとうございます!
これからも一緒にフラメンコを学んで行きましょうね!
そして、メンバーそれぞれにソロアルバムはありますが、
今後は、フラメンコロイドのアルバムをリリースする予定です。
また、フラメンコの教材もドンドン進化させて
驚くような形でリリースをしていく予定です。
是非、期待しておいてください!
また、グッズのTシャツに関しては、
これまで40種類以上を製作しており、
フラメンコロイドに必要不可欠な存在になっています。
これからも活動の動向に注目していてくださいね!
フラメンコロイドの由来
「フラメンコロイド」を名付けたのはリーダーの松村哲志です。
その名前には実は深い理由があります。
2009年のある日、
ヘレスの『ペーニャ ラ ブレリア』での
8時間に及ぶフィエスタを幸運にも経験してしまい、
それまでのフラメンコ感が覆ってしまったのがキッカケです。
その時の模様はこちらから↓
フラメンコはスペインのアンダルシアの伝統芸能であり、
当たり前なのですが、日本人に理解出来ない部分がたくさんあるし、
それがまた魅力で自分達は追いかけてきたわけです。
しかし、そのフィエスタと呼ばれる世界に入ると、
その中は複雑で理解出来ないどころか、どこまでもクリアで
まるで沖縄の海のように澄み切った美しくわかりやすい世界でした。
その瞬間、パラダイムシフトが起こったんです。
例え、もしも彼らと同じくらい近づくことができたとしても
一番本質的な個人の持つ自由な部分が出るとは言い難い。
もし、出るにしてもそれとはまた違う方法だと思いました。
まぁ、フラメンコとはコンパスという
ルールの上での個人技の追求の歴史でもあるわけですから、
それをひとまとめに理解するのは難しいジャンルです。
ま、そんな細かいことは置いといて、
要は、
他所の国の文化を使わせてもらって
似たような活動をし続けて来ただけ…と思い知らされたわけです。
自分達のやってることを『フラメンコ』と言うと『嘘』になる。
だけど、自分達の活動はフラメンコを取り入れている
『フラメンコロイド』なんだ…と言うなら『矛盾』がない。
矛盾がないと言うのはどこまでも強くなれます。
要するに、
人のやってることを追いかけて
『本物』に近くなるんじゃなくて、
『本物』の自分になろう!
と決意したということです。
それが『フラメンコロイド』の名前の決め手でした。
フラメンコを超簡単に解説
スペインの南部、アンダルシア地方の民族音楽として愛され
今ではパコデルシアの功績によって世界的に知られるようになったフラメンコ。
ジプシー達が馬に乗ってアンダルシアにやって来て、
そこにあった伝統芸能と混ざって発展を遂げ、
まずカンテから始まり、
そして踊りギターと原始的なフラメンコの形が出来たそうです。
そして、70年代からパコデルシアのおかげで急激に発展を遂げます。
今はカホンやベースなどから今ではハーモニカまで
いろんな楽器がフラメンコに登場して来ます。
メンバー紹介
松村哲志(メロンシート)
松村哲志オフィシャルサイトはこちらから↘
京都市出身。
子供時代は釣りと野球と美術に熱中。
後、美術高校油画科に進学。
卒業後、憧れていた東京へ4日間かけて自転車で上京する。
94年、5年間の池袋での生活を経て、
友人の勧めでスペインに拠点を移す。
マドリードに住み始め、
カフェ・モデルノ等で個展をしながら、
タトゥーのデザインなどで生計を立てる。
96年にマドリードのプラサ デ ラス ビスティージャスでトマティートの演奏を聴き、
初めて触れたフラメンコギターの強烈な音色とリズムに
強い衝撃を受け、独学でギターを始める。
以後、 1、2曲をマスターし、
スペイン北部から南部のあらゆる街角でストリートミュージシャンとして
糊口をしのぐ放浪生活を数年経て、99年に帰国。
99年に初アルバム「Pizarro,no15」をリリース。
2001年に日本フラメンコ協会主催の新人公演ギター部門で受賞。
2004年に邦人オムニバスアルバム「10Colores」に参加。
2009年に高岸弘樹とアルバム「メロキン」リリース。
2010年にあべまこととアルバム「メロマ」をリリース。
2013年に高橋愛夜とアルバム「Mi voz, Mi sonido」をリリース。
2015年にアルゼンチンのギタリスト「Mariano Manzella」のアルバムに参加。
2017年には自身初のソロアルバム「I’m Meloncito」をリリース。
現在、フラメンコロイドでの活動の他、
多数の国内外アーティスト、
他ジャンルのアーティスト等との共演を重ねながら
妖艶かつ元気で明るい音色で
全国各地の舞台で活動の場を広げている。
高橋愛夜(アヤ)
栃木県出身。
小中学校共にバレーボールに明け暮れる毎日。
そして、小中学校共に栃木県を代表して全国大会へ出場する。
高校の時、塾の先生から哲学と心理学の奥深い世界を教えてもらい、
強い興味を持ち、大学進学のためにバレーボールをやめる。
早稲田大学に入学後、
サークルでフラメンコと出会う。
そして、徐々にカンテフラメンコの不思議な世界へとハマっていく。
その後大学院に進み、さらに心理学を学ぶためにドイツ留学。
卒業後、心理カウンセラーとして働き始める。
のちに、フラメンコの歌のために丹田を鍛えようと極真空手に入門。
数々の大会に出場し、北関東大会では準優勝を果たす。
2007年、日本フラメンコ協会主催の新人公演カンテ部門で奨励賞を受賞。
その後、6年間続けた極真空手を退会する。
1999年に初めてスペインへ渡って以来、
現地のフラメンコに触れながら渡西を繰り返し、
現在は、フラメンコのカンタオーラとして、
国内外のアーティストとの共演、全国各地で活躍する。
また一方で、様々な相談機関で心理カウンセラーとしての仕事も続けている。
2013年に自身初のアルバム『Mi voz Mi sonido』をリリース。
あべまこと
多摩美術大学在学中に絵を観に訪れたバルセロナで初めてフラメンコに出会い、カンテフラメンコ(唄)の世界に入る。卒業後本格的に渡西を繰り返す。
2005年、日本フラメンコ協会主催第14回新人公演のカンテ部門において新人賞を受賞。
2006年には、コンクールのために来日していたスペイン人審査員に才能を認められ、特待生としてセビージャにあるクリスティーナヘレンフラメンコ学校に入学。スペイン人アーティストからカンテの真髄を学び、現地でのカンテコンクール、ライブ出演などを数多く経験する。
2004年、邦人フラメンコアーティストによるオムニバスCD【10 colores】【Puente de Esperanza】に参加。
2010年、自身初の ソロCD『MELOMA』を発表。
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