フラメンコは追うと逃げていく?? まるで蜃気楼のような存在…

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追えば逃げていく、、

 

これ何も恋愛に限った話じゃないですよね (^_^;)

 

これは人間の真理ですね…

 

そしてそれは、フラメンコにも通じます。

 

なぜならこれまで何回も書いてきたように
フラメンコって究極のコミニュケーションだから。

 

そして自分は、
何回もフラメンコに逃げられているからこそ
言い切れるんですよね、、残念ながら。

 

フラメンコは自然体ってことを何より一番大事にしてるんです。

 

だから、そこに何か不自然な和を乱すものがあることをすごく嫌います。

 

これまでもいくつかの体験談で書きましたけど、
どんな素晴らしい瞬間も一撃で終わってしまうんです。

 

みなさんご存知の通り、
自分はかなり空気が読めないのでその辺りのネタに困りませんよ (−_−;)

 

中でも一番鮮烈に覚えているのは、

ギタリストのパキートこと、
Paco Fernandez パコ・フェルナンデスと遊んでいたときのこと。

 

念のため、パキートについて簡単に紹介すると、

レブリハにルーツを持つセビージャの名門フラメンコファミリー
「フェルナンデス一家」の長男として生まれた彼は、
幼い頃からギターの道でプロとして活動してきた人で
日本にも10代の時から来ていたりと世界各国を廻りながら文字通りギター一本で生きてきました。

 

その音は、単に立ち上がりが良いとか言う表現では伝えきれない

 

潔さ、すがすがしさに溢れていて、
フアナ・アマジャをはじめとする素晴らしいフラメンコ達にその腕を認められています。

 

そして驚くのはギターだけでないんです!

 

その歌がすごいこと!!

 

彼が歌うと一瞬で彼の世界になってしまって、
エネルギッシュなのにどこか切なさを感じるような彼の歌は
周りにいるどの歌い手よりも魅力的でいくらでも聴いていたくなってしまうんです。

 

さて、

そんなパキートがもう4,5年前になりますが日本に数ヶ月滞在することがあって
まっちゃんの紹介で仕事に関係なく時間をともにする機会に恵まれました。

 

自分から見て、
まっちゃんとパコには言葉を超えた深い信頼関係があるように見えます。

 

一番それを感じたのは、2人揃うとたくさんの言葉を交わさなくても
話がパパパっとよどみなく決まっていくのを目の前でみた時。

 

そこに細かい説明がなくてもお互いへの信頼がはっきり見えるからなんですね。

 

いわゆる波長が似てるってやつなのか、
二人が並んで歩いてると発してるオーラが同じファミリア(家族)かってくらい似てます!

 

そんなパキートの滞在中には
彼の誕生日を祝うプライベート感たっぷりのライブがあって
そこに、まっちゃんやあやちゃんと一緒にパルマで参加したり、
彼のリズムや歌のクラスを手伝ったりしたこともあったりして、
一緒に過ごす時間が増えて自分もだんだん輪の中に馴染んできたななんて思っていたある日。

 

 

仕事でもクラスでもない時に
パキートがフラメンコの話をしながら本当にごく自然に歌い出したことがありました。

 

フッと何の前触れもなく始まったとても自然なブレリア。

 

彼のルーツ、レブリハのブレリアでした。

 

オッ!!!

 

普段からなんでも録音してデータを集めるのが好きな自分は
ラッキーとばかりすかさずとっておきのボイスレコーダをカバンから取り出し…

 

ポチッと録音ボタンを押しました。

 

その瞬間、

パコの歌がピタッと止まって

シーーーン

とした間の後に、

 

パキートがゆっくり話し始めました。

「マコト、今、俺たちは友達としてフラメンコを楽しんでいるんだ。
なんで友達の間で録音なんてするんだ?そんなものは止めろ。」

 

ああぁぁ。。。。

 

自分は恥ずかしさと後悔で身体が2周りくらい縮んだような気がしました。

 

やってしまった。。。

 

何より嫌だったのは、
今まで自分でもどこか後ろめたい気持ちがありながらも、
録音を肯定してきた自覚があったからでした。

 

それまでも何年もの間、
いろいろな劇場やプライベートなフィエスタで、
フラメンコと聞けばほとんど場所に関係なく録音機を持ち歩き

録音→あとで勉強を繰り返していました。

 

勉強。。。

 

もちろん、時には演奏している人の
チラッという視線に気づいたこともありました。

 

でもそんな時、必ず『これを聴いて上手くなるんだ』とか
『どうしても知りたいんだ』という自己肯定の声を優先してきました。

 

でもその日、パキートにそんな自分のイヤらしさ…セコさがバレた。

 

こんなに自然体で接してくれた人に恥ずかしい事をしてしまった。

 

自分もそうだけど、本当に自然な気持ちで何かをし始めても、
誰か一人違う空気感の人がいたらなんだか勢いを削がれるし、

ましてや

気持ちよく歌っている歌を断りもなく
録音なんかされたらどうしたって自然ではいられなくなってしまう。

 

分かっていたのに、、、情けない気持ちでいっぱいでした。

 

その日、パキートはそれを一回だけ言うと、
もうそれ以上はただの一度もその事は言わずにいたって普通に過ごしていました。

 

本当に録音を始めた一瞬のことでした。

 

彼が今という瞬間を大切にしていること。

 

感じたことに素直で、
しかもそれをズルズル引っ張らない人柄だっていうこと。

 

それを強く感じたし、
なんで彼があんな音を出せるのか何と無く理解できた出来事でした。

 

実は、

自分に『録音するな』と言ったのは、
今までやってきた全ての人の中でまっちゃんとパキートだけなんです。

 

他の人だってみんな録音されて気持ち良くはなくても、
どこかで『まぁ仕方ないか』と感じていたり、
『それが本当に無粋なこと』ってことをそこまで言い切れないんだと思うんですね。

 

だが、この二人は違う。

 

その時はそんなことを考える余裕がなかったけど、
やっぱりこの二人には何か共通の感覚があって
自分はそこに強烈にフラメンコ性を感じるんです。

 

瞬間に感じているモノを大切にする

 

だから、

そのために自然体であることにとても敏感

 

そんな風に自然に生きているからこそ、
自然なフィエスタの中で一人違う事を考えている自分に違和感を覚えたんでしょうね。

 

一緒にフィエスタをつくる気がなくて、
しかも、その人がそれまで時間と創造力を費やして
積み上げてきた芸を簡単に効率よく盗もうとしている。

 

もちろん録音の全てが悪いわけじゃないですよ。

 

言いたいのは

その場で発しているものを感じる

人が発言している事に素直に耳を傾ける

そんな当たり前のことを忘れて
感情やコミュニケーションとは無縁のデータの世界に没頭してしまう。

 

当たり前のこと…

 

ところが憧れのフラメンコを目の前にすると
自分にはそれすらも意外に難しかったということです。

 

実は

自分が単なる歌の収集家だったと自覚したその頃を境に、
それまでの『目指すべきお手本が明るく輝いていた世界』から
『何を持って歌うのか』という悶々とした道へと入って行くことになります。

 

追うと逃げていくフラメンコ。

 

逃げないのは自分の中にあるフラメンコだけです。

 

その辺りはまた別の機会に書きたいと思います。