フラメンコとバンドの話
また今日も家系ラーメンの総本山「吉村家」に行ってきたマコです!(笑)
マジで旨すぎてヤバいよ!中毒になってるねマジで困る…(爆)
というわけで、今回は、
『フラメンコはバンドでしか表現できない』
について語っちゃうよー!
さて、
そんな事を言うと
「いや。そんなことないよ。むしろ各々がしっかりしてることが大事だよ!」
って言われるとかもしれない。
うん、わかる。
その気持ちよーくわかるよ。
昔の自分もそうだったからね…。
でも、今の自分はフラメンコをやればやるほど、バンドしかないと確信している。
うん、確信している!
もともとは一人でいる方が超〜気が楽で、
みんなが盛り上がってる時にでも「あ、俺はいいや」とか
平気で言ってしまうような非常に付き合いの悪い男だった。
そんな自分がどうしてそう考えるようになったのかを
赤裸々に書いてみようと思う。
フラメンコを始めた当初
フラメンコをはじめた頃は、
一人で練習している時間がすごく長かったし…
実際そんな自分に自己陶酔し、酔いまくってもいて
フラメンコのどこか物悲しい部分に惹かれて、
おこがましくも自分もそれを表現しようとしていた。
まぁ、一人でやっているわけから、すぐに行き詰まって悶々とはするんだけど、
またその状態が好きだった。
その「無理した行き詰まった感じ」が自分が持っていた
フラメンコのイメージとまた近いもんだから、
まるで酒に酔うように酔いまくっていたわけだ。
もしかしたら恐ろしいことに、
それこそが、フラメンコの本質だ!思い込んでいたのかもしれない…。
要は、恥ずかしい話、その頃の自分は
フラメンコの本質的な事にかすりもしてない自分に一切気づいてなかった…
ということ。
じゃあ、こんな自分がなんで「バンドしかない」と確信するに至ったかというと、
それには大きな「きっかけ」が2つある。
まず1つ目は、
フラメンコの仕事がポツポツと入りはじめた頃に行った
「アンダルシア」
その頃、日本でだんだん踊りの伴奏を頼まれることが増えると
「あれを覚えて」とか「ここで止まって」みたいな決め事が多くなってきた。
当時の自分は、まだ初めて数年で、知らない事だらけだったし、
言われる通りに色んなことを必死で覚えていったんだけど、
どれもこれも付け焼き刃で、ただただ言われた事を次々とこなしていくっていう感じだった。
(まぁ、そんな中でも「フラメンコに近づいている!」
みたいな充実感は感じまくっていたんだけどね、、、)
ところが次第に
そんな大変な状況は自分だけではなくて、
自分より経験のある先輩達も似たようなものだと気づくようになった。
例えば、
仲間内でグループを組んでいる人が、
「今度のライブに向けていろいろ覚えなきゃいけなくて大変だ」とか
「メンバーとの折り合いが悪い」とか
そんな事を言っていてるのを聞いていると
グループでいることが、そんなにメリットがあることには思えなかった。
そもそも「そんなに大変なら、なんでグループなんてやるんだろう?」
とまで思っていた。
さて、そんな中、コツコツとライブをして貯めたお金で遂にスペインへ行った!!
スペインで見たこと
スペインで感じたのはそんな窮屈な感じを一掃するような爽快なフラメンコだった。
みんなが自由に心を開放しているようでいて、
勘どころでは全員の空気感が「ピタッ!」と決まる。
カッコイイーーー!
「リハをどれだけしているんですか?」、とか
「それは決め事ですか?」なんて
普段の自分なら聞いてしまいそうな質問も、
スペインのフラメンコの前では頭によぎりもしなかった。
「これは、合わせようと思って合うリズムの揃い方じゃないな」
と本能で感じたからだ。
こんな鈍い自分にも本能はあるのだ!(笑)
ライブの演者はもちろんなんだけど、
圧巻はスペインの野外ライブに来ているお客さんや、
バルでのフィエスタなんかで見かけたその他大勢の地元の人だ。
演奏中に平気で喋ったり、グラス片手に横切ったりしながら
みんなそれぞれガヤガヤと好き勝手にしているんだけど、
ある瞬間 フっと一体になって『オレーーーーーー!』
と声が揃う。
そしてまた、ガヤガヤ、、、
寄っては離れ、離れてはまたフッと寄ってくる。
一般的に「情熱的で奔放なイメージの」彼ら。
実は周りの空気をパッと察知して「ここぞ」の一瞬でパッとまとまることができる。
野生動物の群れとでもいうのか、一見秩序がなさそうな一体感。
興味がなければ離れていってしまうけど、
何か共通するものを感じたらいきなり身内扱い。
つまり、自分の感性が求める人といるから、一体感が出る。
よくよく考えてみたら、それは当たり前のことだった。
そんなこんなで、
フラメンコを求めて行った初めてのスペインは、
そんな自分に、ありえないくらいの刺激に与えてくれた。
そして、寂しさを感じながら3ヶ月ぶりに帰国。
帰国して感じたこと
日本に帰ってまず自分が感じたのは、
今まで自分は、いろんな人と一緒にいてグループとしてやってきたようでいて、
本質的には「実はバラバラだったな」ってこと。
やりたいもの、好きと思うものとかの感性が全く違っても、
「いろんな人と一緒に共演することに意味がある」
と考えていた自分は
バラバラの意味は、「仲が良い、悪い」じゃなくて
「見てる方向が違う」ってこと。
「それだけじゃ、スペインで感じたあのパワーは生まれない」
さて、そんな日本フラメンコ界の中で、
ギタリスト「メロンシート」こと「まっちゃん」に引き寄せられた。
それが2つ目の「きっかけ」。
というか、
この出会いがなければ一生、今みたいなバンドには巡り会わなかったと本気で思う。
まっちゃんは、
その随分前から知り合っていたんだけど、
付き合えば付き合うほど印象がどんどん深まっていく人だった。
(本人にそんなつもりはないんだろうけどね…)
自分から見たまっちゃんは、
何か気になる存在というか、
怖いもの見たさで思わず近寄ってみたくさせるようなオーラがある。
まっちゃんはいつも考えていることがはっきりしていて、
その上、周囲にエネルギーを発している。
「何となく」というのが一切ない人で、必ず何かに向かって、
それが必ず周りを巻き込んでしまう。
言ってみれば、スペインの野外ライブで周りのバルのおじさんやおばさんまで巻き込んで、
『オレーーーー!』と言わせてしまう、あんな感覚だ。
元々自分は一人でフラメンコをやっているっていう自己完結の感覚があったから、
いくら一緒にやっているグループのメンバーでも
自分の方が認められたいっていう気持ちが人一倍強かった。
でもある時、人がまっちゃんを褒められるのを聞いて、
「誇らしいな!」と感じている自分に気づいた。
あやちゃんに対しても同じことを感じて
舞台上では一際「華」があって、
舞台を降りてもテキパキと仕事をこなすあやちゃん
が、「あやさん あやさん!」と言われてるのをみて嬉しくなる。
ま、実際2人ともすごいんだけど。
結論
バンドとは、
うん、自分にとってのバンドとはメンバーである以前に、
ファンであることだ。
ほかのメンバーの、そして何よりバンド自体の。
その日に会って舞台に立つ、
ただの共演者とは、完全に一線を画すもの。
大切なことは
バンド全体がひとつのものに向かって歩く。
そんなバンドからしか、あの興奮させる、巻き込むフラメンコは生まれないと確信している。
家族でもひとつのものに向かって歩くのは難しいし、
すぐにバラバラになったりもする。
なのに、今では人に興味なかった自分が
ロイドでは何年間も日本全国を何周もしている。
これは、昔の自分は想像もできなかったことだ。
ライブも1000本以上をも共に経験し、
「楽しいこと」も「苦しいこと」も何度も何度も共に経験している。
まさに、人生そのものをフラメンコロイドは教えてくれる。
これって本当に凄いことだと思っているし、
生きていくことの奥深さを感じている。
だから自分はフラメンコロイドを誇りに思っているし、愛している!
さて、冒頭に戻るけど、
自分もソロのフラメンコを否定はしない。
人それぞれに向かう方向はある。
でも、もしソロで成立するようなフラメンコアーティストがいたら、
それは、その人の中に何人もの自分がいて、会話が溢れているからだと思う。
エネルギーを発する自分と、それに共感する自分が渦巻いてたくさんの会話があるから、
「ひとり寂しくやってる」なんて事には決してならない。
まぁ、そんな人には舞台上にバンドがいなくても、
客席に彼の音に共感するバンド=ファンが溢れているに違いない。
ここまで読んでくれてグラシアス!
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